第二章 プロウ・スリブへ行こう

1992,9,28

5時20分起床。一階のホテルのコーヒーショップで朝食を取る。この時間じゃ、ファーストフードですら、まだどこもやってないから仕方がない。一番安いコンチネンタルを頼むと、何だかアヤしいおじさんたちが入ってきた。バブルガムブラザーズみたいな格好のおじさんと、サラリーマン風の3人連れ。日本人が多いホテル(7割が日本人宿泊客、でも日本語スタッフはいない)だとは聞いていたけど、ほんとだ。「カラオケが一番高い」とか言ってる。ここまで来てするか。
 すずはらは朝からナシゴレンだ。私は昨日から食欲がない。食べられないわけではなく、緊張で胃が少し縮んでいるようだ。食べる事は食べるけど、いつもより入る量が少ない。すぐに満腹になってしまう。
 のんびり食べていたら、ツアーの係員が迎えに来た。まだフルーツを食べていなかったけど、しょうがないのでコーヒーショップを出る。まぁ、いいか。
「トラベラーズ・チェック使える?」
 アイールアイランド・ワンナイト・ツアーの代金は、一泊3食付きで一人$90である。そんな現金は持っていない。当然ながらT/Cを使いたいわけだが…。何故かしらないけど、それでもめた。
「ノープロブレム、OKOK」
 結局大丈夫だったのだけれど、変なの。
 トラベラーズ・チェックは、換金時にパスポートの提示を求められたりして、結構めんどうくさい所がある。今後TCを作るときは、大きな金額だけを作ろうと思った。まとめて換金するとき以外に必要としなければ、こんな面倒も減るはずだから。
 どたばたしていたせいで、ジャカルタのラッシュアワーにぶつかってしまった。ジャカルタのラッシュは東京の比ではないけれど、それでも結構ハードだ。町の中をのろのろ走るうちに、住宅街にさしかかる。どう見ても邸宅、と言うお屋敷から、黒塗りの立派な車が出てきた。
「あ、奥様が出かける」
 中に乗っているのは、着飾ったタントゥ(おばさん)と運転手、それにお手伝いさんらしい若い女の子。
「どこ行くのかな」
「お買い物かな、それともサロン(美容院)かな」
 日本なら中流クラスの生活をしている家族でも、たいてい一人や二人のお手伝いさんを雇っていると言う。それは地方から上京して働く娘さんたちの、雇用確保の力ともなっている。もちろん人権費が格安だ、と言う理由もあるようだ。
 家族と言うか、ほとんど必需品なので、どんな所へ行くときも、必ず彼女たちお手伝いさん(プンバントゥ・手伝う者と言う意味)を連れてゆくらしい。あちこちのデパート、レストラン、遊園地、観光地などで、そういう家族を目撃した。そういえば、香港でもそんな家族を見かけたなぁ。 黒塗りとボロなバスと、もっとぼろぼろで解体しそうな三輪トラックが同じ道路を走って行く。私たちの乗ったワゴンは、船に遅刻しそうだからか、百 でぶっとばす。
「このラッシュの中を百キロかよー!!」
 と思ったら途端にがっちゃんこ。左の頭を接触した。いきなり隣のワゴンの運転手と怒鳴りあいになる。こりゃすげぇ。
「怖いよー」
「大丈夫かなぁ…ちょっと壊れたみたいだけど」
 怒鳴りあっても、前に進まなければならない。ガイドのお兄ちゃんは、示談にするのかお札を財布から出してはみたけれど、相手のワゴンが曲がり角を曲がって行ってしまったのを見ると、肩をすくめてお札をしまった。良くあるんだろうなぁ、こんな事…どおりで車がみんなベコボコなはずだ。
 遊園地の前で左に曲がって、アンチョール・ハーバーへ向かう。プロウスリブに行く船は、みんなここから出るそうだ。ハーバーには大きな白いボートや、ちっちゃな木の船が所せましと停泊している。神田川のマリーナより多いんじゃないか?
 出発は8時予定だが、まだ随分早い。7時の船があったとか言っているが、ラッシュで間に合わなかったみたい。ハーバーと言うには、小さな船付き場だ。一応レストランも売店もくっついているけど。売店で懐中電灯用の乾電池を買う。単一サイズのを2個、200円ぐらいだったかな。インドネシアの電池には、蓋がついている。付きだした方の端子に、プラスチックのキャップがかぶせてあって、それをちぎって使用するらしい。これなら新品と中古の差は歴然としているし、キャップを戻す事も出来ないから安心だ。なるほど、こりゃいいアイデアだ。電気も抜けないだろうし。
「あ、あいつらがいっぱいいる」
 船つき場には、おなじみの船虫がぞろぞろと居た。子供の頃に行った海水浴場には、必ずこいつらが居たものだ。
「コトール!」
しかし、ガイドはこれは「汚い」(コトール・不潔)だ、と説明する。そういえば、船虫って海のゴキブリの異名があるんだよな。確かに生活排水で汚れた海にしか、住んでいないけど…あの日本海の海は、やっぱり汚れてたんだろうか…。
でもあそこって、原子力発電所の真下の浜だったぞっ。日本ってばさっ。

何もないプロウスリブ

ハシケと呼んだ方が言いような、ちっちゃな船に乗って出発。酔わないかな、とドキドキしたが、二十分ほどで島に到着。一緒に乗った人たちは、どうやら島のホテルの従業員だったらしい。ツーリストは私たちだけだ。まぁ、平日だからすいているのも当然か。土曜日曜ともなると、ここはジャカルタからのお客でいっぱいになる、と聞いた。
チェックインの時間まで、随分間が開いていたが、しばらくすると部屋に案内してもらえる事になった。泳ぎたいと言っていたので、急いでくれたらしい。だが、この後でもインドネシアのホテルは、チェックインの時間は割と鷹揚で、時間外であっても受け付けてもらえる事が多かった。
部屋はコテージタイプで、玄関とキッチンとトイレ、シャワーが下にあり、中二階といった感じで、リビングとベッドルームが階段を上がったところにある。広くて、なかなかグッド。しかし、入り口とベッドルームとベランダの、3つも鍵があるもので、どれがどれだが覚えるのが大変。鍵を間違えて、開かなかったのは、一度や二度ではない。そして、2回まわさないと、完全に開かないと言う事にもしばらく気付かず、あわててしまった。 

サービスでウェルカム・フルーツをもらったけれど、手をつけなかった。りんごとみかんとサラック(これは渋い)となると、いまいち食べたいと思えない。バナナだったら食べられるんだけど。
さて、まだお昼前だし、さっそく泳ぎましょうか。いや、その前に島を探検するぞ!
ゆっくり歩いても、十分ぐらいで一周してしまうほど、小さなプロウ・アイル。ちょうど真ん中に発電室と、塵処理施設があり、ビーチにそってコテージが点々と建てられている。従業員宿舎は、高山の合掌作りみたいな、大きなコテージで、近くには100人ぐらい入れそうなホールもあった。
小動物園に、子供の遊び場も作ってある。親子連れの客が多いのかもしれない。猿にアヒル、鹿、それにあちこちのケージに入った綺麗な色の鳥達。鶏、極楽鳥、おうむ、インコなど。
バレーコートやテニスコートもあるし、水上バイクもできるみたいだ。大体のレジャーは、ここでまかなえるのだね。プロウ・アイルには、ビーチの他にプールもあり、子供が來るためか、滑り台もついている。けれども、今日は滑り台は休業なのか、水は流されていなかった。男の人が一人で泳いでいるだけで、プールはほとんど貸し切り状態。この島には、私たちの他にお客はいないのだろうか?そんなはずはないのだけれど、彼らはいったいどこに隠れているのだろう。
島をぐるりと回って、ちょうどロビーの反対側の動物園の側に、良さげな場所を見つけた。大きな木の下にテーブルとベンチがあって、ほどよく日陰になっている。小さなビーチも綺麗だし、あとで、ここに来て泳ごう。
チケットを見ると、どうやらウェルカム・ドリンクが頂けるらしいので、ロビー方面に引き返してレストランに向かった。 レストランには愛想のいいお兄さん達が二人いて、色々と相手になってくれる。インドネシア語はぺらぺらだけど、英語はちょっとしか出来ない。でも、ここにいるとすぐ覚えられるんだよ、と言っていた。英語圏のお客様も結構來るらしい。
そこで飲んだオレンジジュースは、激甘の添加物入りだったが、喉の乾きはおさまった。水上レストランは、さすがに眺めが良い。向こう側がジャカルタ…。なんだか水平線に、いろんな物が浮いている。竹で作ったいかだのようなもの、あれは何だろう。


※食事料金※ 
    ビーフバーガー RP6,000-
    チキンサンド    RP6,500-  


浜とプールでたっぷり泳いだ後、部屋へ戻った。海は雨期のせいか、プラスチックやビニールの混じったゴミが多いが、水自体は綺麗だった。魚はこの辺りにはいないようだ。ゴミを拾って水辺をきれいにする、と言う習慣はまだインドネシアにはないのだろうか?でも、日本でも三十年ぐらい前までは、そんな概念すらなかったようだから、もう少し汚れるまでこのままなのかもしれない。日本のように間に合わなくなる前に、気がついてくれるといいんだけど。
すずはらは日本から持参してきた人形(タカラのジェニー)を持ち出して、浜辺で撮影会をしている。カメとジェニーの写真を撮って、雑誌へ投稿するのだそうだ。浜辺で撮影しているうちに、激しい波が来て人形をさらわれかけ、あわてて戻ってきた。砂まみれの足で部屋中を歩き回り、床をどろどろに汚してしまって、私としばらくもめる。
その後夕食までごろごろと昼寝。泳いだせいか、とても眠い。気がついたら外は暗くなっていた。
さあ、お楽しみの晩ご飯だ、とはりきってレストランへ向かう事にする。この為に!私は日本から持ってきたゆかたを着用。帯もコーリンベルトも、一式揃えて持ってきたのだ。ずっと昔にグループで作った、藍色に白い柄の入った安い物だが、インドネシアで着ると、また情緒もひとしお。
すずはらに着せてもらってレストランへ向かうと、着物を着てきた甲斐のある、力の入ったディナーが供された。クーポンにインクルーディッド(含まれている)とは言え、自分達の日常から考えると、かなり豪勢なメニューだった。
サンバル(チリソース)で味付けされた蟹のぶつ切り炒め、スパイシーなチキンソテー、イカのオイスターソース炒め、チャプチャイ(野菜炒め)には、海老がぎっしり。真っ白なご飯と共に頂くが、どれも美味しい!手をべたべたにしながら蟹にかじりついた。
最初に食事を見たときには、こんなにたくさん食べられないかもしれない、と思ったが、いつのまにかほとんど平らげてしまっていた。さすがにご飯までは入らなかったけれど、満足すぎるほど頂いた。
レストランの外では、昼間の間はいったいどこにいたのか、と言うぐらいの人数で、どこかの泊まり客がガーデンパーティを開いている。あれは入口にウェルカムと書いてあった、YAMAHAの人たちなのかなぁ…生バンドにかがり火を焚いて、とても賑やかだ。
デザートには、真っ白なふわふわのメレンゲが乗った、ストロベリーアイスが出てきた。しかし、ただ一つ惜しかったのは、頼んだカクテルがほとんど合成ジュースだった事。うん、野菜や果物はなかなか持って来られないのかも。
 夜だと言うのに、蝿が虎視たんたんと食事を狙ってくる。目の端を何だか黒くて大きな物が、バサタタタ、と飛んだような気がしたが、気のせいにしておいた。確かめなくて良かった…こちら特産の、大型の油虫だったそうだ。でも、気にしていたらきりがないので、無視する事に決めている。気味は悪いけど、直接に被害にあったり、病気にさせられたりした事はないし。毒虫(蚊やアブ、蜂)の方がよっぽど後を引くってものだ。
昼にすずはらが食べたチキンの焼きサンドは今いちだったそうだ。私の食べたハンバーガーは…印象に残ってない所を見ると、当たらず触らずだったのだろう。
疲労と幸福に満たされて、 私たちは早々に就寝した。

ジャカルタへ

1992 9 29

朝になったら、すずはらのお腹の調子が悪くなっていた。ちょっと痛いらしい。大事をとって、朝八時まで寝ていたら収まった。クーラーのせいで、寝冷えしたらしい。
朝食はレストランではなく、海上のコーヒーショップでやってるよ、と言われて、そちらへ向かう。水上コテージ群の入口にいるそこには、団体さんがいっぱい居た。昨日のガーデンパーティの人たちだろう。こんなにいたんじゃ、私たちが泊まれる海のコテージはなさそうだ。大体が中国系の人たちらしい。
彼らはバイキングの朝食だが、私たちはセットで注文する事になっている。すずはらのアイランド・ブレックファストは外れ。まっずーいソーセージにフレンチトーストとお茶。私はパンケーキを頼んだが、これはまぁそこそこ。しかし、サンバル(とうがらしペースト)とケチャップは偉大だ。これさえあれば何でも食べられるようになるから不思議。日本の万能調味料、醤油に匹敵するぞ。
昨日ここに來る際に、ガイドは午後四時戻ってくるようになっている、と言っていたのだが、船は午前十一時と午後一時しかない、と言われる。他にも船はないのかと尋ねたが、うーん、ちょっとわかんないな…。たぶんガイドはあの波止場に四時に迎えに來るつもりなんだろうけど、船がなくちゃ帰れないよ。仕方がないので、私たちは十二時にチェックアウトして、一時の船でアンチョールの港へ戻る事に決めた。
それまでお気に入りの場所で泳ぎ、ビデオを撮影し、プールでも遊んで帰り仕度もばっちり。さて、そろそろチェックアウトを…とロビーに行ってみたら、波が荒いので出航は二時になりました、との事。じゃあ、ゆっくりランチが食べられるからいいや。空き時間のつぶし方なんて、いくらでもある。ぼんやり海見ててもいいし、スケッチブックを描いてもいい。チェスもあるし、テレビゲームだってある(ストリート・ファィターとキャラクシアンだった)んだから。
ランチはセットで出てきた。エビチリ、高菜炒め(としか言い様のない、漬物の炒め物)フライドチキン、コンソメ+豆腐のスープ。ガンガンかかっているインドネシア語のラジオを聞きながら食べる。美味しかったのだが、途中ですずはらの具合が悪くなった。急に背中と腰が異様にだるくなり、飲みものしか受け付けなくなってしまった。どうもまた、脱水症状っぽいので、水をコップに三杯とジュースを一本注文する。…と、どうにか症状はおさまった。日光浴の後遺症だろうか。
脱水症状は思いの他辛いもので、吐き気や熱にだるさと言う、不快感のオンパレードがやってくる。水が足りないからと言って、いきなりがぶがぶ水を飲んでも効き目は薄いそうだ。最もいいのは、小量をしょっちゅう口にしている事。喉が乾いたら飲めば大丈夫だと思っていると、てきめんに脱水症状はやってくる。どういう訳か、南の国ではあまり喉が乾いた、と言う記憶がない。身体が欲しがるだろうと悠長に構えていると、手遅れになってしまう。こっちから、どんどん補給してやらないと…。インドネシアの人は、そういえば蓋付きのコップをいつも側に置いて、ひっきりなしにお茶を飲んでいる。あれは習慣化している、脱水症状防止策のようだ。
暇なのでフロントでうろうろしていると、従業員に声をかけられた。
「アーユーシスターズ?」
二人は姉妹か?と聞かれた。日本では良く聞かれるけど、インドネシアでまでそう言われるとは思わなかった。いいや、友人だよ、とすずはらが答えたが、いっその事姉妹だと答えれば、面倒くさくなくって良さそう。名字が違うのは、片方はもう結婚しているからだ、とかなんとか言って…。でも日本じゃ旦那が居たら、海外旅行なんてほいほい出かけられる訳もない。付いてこられるのもうっとおしいだろうし、だいたい日本の男は、自分の持ち物に意志があるのを嫌がる者が多い。

今晩泊まるホテルは全く予定していないので、フロントでどっか予約できないかと尋ねた。一番近い「ホライズンホテル」は、高級ホテルすぎてパス。代わりにもっと安い所はないか、と聞くと、ほど近い所にもう一軒あると言う。そこにしよう、でも名前は?電話番号は?と、ドタバタしているうちに遅れていたはずの船が来てしまった!大あわてでメモをもらって、荷物を船に積み込み、あわただしく出航する。来た時の船より豪華だぞ。
「テリマカシ、バニャッ!」
お世話になりました。もう一泊、ここですれば安いよ、と言われたけど…そう言う訳にもいかないの。ごめんね。でも、何にもなくてのんびりしてて、とっても素敵な所だった。またここには来たいなぁ。
船がハーバーにつくと、何台かタクシーが客を待っていた。この辺は日本とあんまり変わらないなぁ。タクシーの屋根には、タバコだかなんだかのでっかい看板が、どーんと据え付けてあって、まるで広告塔のようになっている。タクシーにメモを見せて、ここは近いんだと言ったのに、やっぱり場所を間違えた。市内をぐるぐるっと一回りして、元のハーバーまで引き返す。おまけにメーターを自力で回して、ボルんだ、これが。
そこから街道ぞいに順番に見ていって、やっと見つけた。しかし、そこはホテルではなくて、いわゆるユースホステルだったのだ!


※宿泊料金※ エアコン・マンディルーム付きツイン RP41,160-

かなり大きなユースホステルらしく、平屋建ての客室が綺麗に整えられた庭の中に広がっている。各棟には、花の名前が付けられていた。このユースは、確かに安い…でも、トイレはインドネシア式の、水を汲み溜めた桶から手桶ですくって流すやり方の物だった。いわゆる原始的な水洗式だ。すずはらはショックを受けている。
「ここ、シャワーないよ…トイレのドア、閉まらないし…どうしよう」
だって…一泊2人で、2800円ぐらいだよ。ほとんど日本並の物価高の首都ジャカルタで!シーツが清潔だから、とりあえず旅行同人誌で読んだ、トルコのユースみたいに、南京虫にやられる心配もなさそうだ。でも、ドアの隙間から蚊がぞくぞくと入場してくるのだ。部屋中に染み着いた殺虫剤の匂いが激!キツイ。鼻が慣れるまで時間がかかりそう。
「鼻がいいから、普通の人の三倍、臭いよぉ…」
匂いに敏感な私だが、それで得をした経験は今の所一度もない。

ユースには貴重品入れがない。案内してくれたお姉さんは、セーフティ・ボックスと言う単語を知らなかった。大事な物は、部屋に置いて鍵(クンチ)をかけておけば大丈夫、と言う。…しかし、やっぱりしんぱいなので、貴重品は身体に付けておく事にした。
さて、そろそろ昼下がりに近くなってきた。一日のうちで、最も過ごしやすい頃だ。私達がこのハーバー近くに宿を取ろうと思ったのは、このすぐそばにインドネシア・ディズニーランドと言われる、「ドゥニア・ファンタジーとアンチョール・ドリームランド」があるからだ。 
門はすぐそこにある。歩いて5分ぐらい…かな。まだ日があるので、ちょっと暑いけど。近所には畑と沼、それに山羊がいっぱい居た。子供達が水場で釣りをしている。この辺りはスラムと言うほどではないが、水はけが悪い土地らしく、崩れかけた家とかが多い。もう少し東へ行くと、高級新興住宅地が出来つつあるらしいのだが。
「エキサイティング!」
ドゥニア・ファンタジー、略してドゥーファンは、遊びごたえのある場所だ!ジャカルタ市民の憩いの場、インドネシアの娯楽の殿堂、まさにここは…アジアのオリジナル遊園地!巨大なスフィンクスの首が埋まっている体感シアターは、九州のスペースワールド並みの激しさの横搖れが襲ってくる。東京ディズニーランドの、スターツアーズなんかに負けてない。ジェットコースターも、コークスクリュー2回転でベリィナイス。
しかし、成人してからすっかりこのテに弱くなってしまった私は、いつものように気分が悪くなり、しばし休憩。どうやら、ちょっとのぼせてしまったらしい。かぶっていた帽子をはずして、きちんとしたシャツを買い、(なんだかすごい怪奇なプリント。ハードロックの柄のよう)アイスキャンディーを買ってなめていたら、随分楽になった。
その後はインドネシアバージョンのスモール・ワールドに入ったり、不思議な造形の着ぐるみと遊んだり。ドゥー・ファンのマスコットはマンドリルである。あの不思議な派手色の顔の辺りが、遊園地には似合っている。他にもいいぼいぼがいっぱいついた蛙だの、真っ赤なイノシシのようなものや、とにかく派手!中に入っている従業員は、ディズニーランドよりも砕けていて、エッチなポーズをしてみせたりする。おい、腰を振るな、ビデオで撮っちゃったぞ。
私が買ったシャツのプリントの施設は、どうやらお化け屋敷らしかった。(PURIMISTERI)真っ白なコンクリートで出来た、髭面のおっさん勇者が、龍のような不思議な怪物ととっくみあってる、噴水付きの立派な彫刻の下の入口には、7時まで休憩します、と書いてある。現在6時だし…そんなには待てないなあ。せっかくサービスチケットもついてたのに、残念。


※ドゥニア・ファンタジー入場料金※ 
フリーパスチケット RP9,000-

だんだん空が暗くなってくる。もうすぐ本格的に夜だ。
「暗くなってきたね」
「そろそろ戻ろうか」
閉園は9時過ぎで、ずいぶん遅くまでやっている遊園地なのだ。しかし、夜のドゥー・ファンもなかなか綺麗。イルミネーションがきらきらしていて、漆黒の空に映えている。このままタクシーで中心街に出て、買い物して食事して、それで宿に帰ってこようと思っていたのだが、すずはらは違う提案を出してきた。
「街へ行くのは明日にして、今日はこのまま宿に帰ろうよ」
確かにかなり疲労していたし、これ以上疲れる事もないだろうと、さして意義を申し立てるつもりはなかった。
「だって…あんなきらびやかな街から、あの寂しいお宿に帰るの、やだよ」
シャワーのついていない、鍵がかからないトイレが、かなりすずはらには応えていたらしい。あのきらきらしい街から、また質素なユースに戻ってくるのが不安なのだ。
くだんのユースホステルには、食事をする施設はないようだったし、近くに食事ができそうな所も見あたらなかった。このまま帰ったら、飢えるかもしれないと思い、ハンバーガーでも購入する事にする。
ゲートにたどり着いた頃には、すっかり陽は落ちて暗くなっていた。もう巡回バスもないようだし、どうやって帰ろう。
「ねぇ、ホテルの名前覚えてる?」
「え?覚えてる訳ないでしょ」
そして大間抜けな事に、二人ともそのユースの名前を覚えていなかったのだ。インドネシア風の、覚えづらい名前だったのも災いした。もらったメモでも持ってくればいいものを、それも置いてきてしまっている。
どうしよう。
なんとなくここまで遠かったような気がする。車で3分ぐらいだったけど、歩いたら随分あるはずだ。茫然としていても仕方がないので、その辺にいっぱい止まっているタクシーに声をかけてみた。かすかな記憶で、この辺にあるユースホステルなんだけど…と説明すると、何となく判ったらしい…でも、おっちゃんたちの発音が、聞き取れない!ウィサタ?何?
「一万ルピア」
何だと。
「マハル!マハルニャ!」
高い、高すぎる。そんなにする訳ないじゃんか。交渉以前だとあきらめて、さっさと歩き始める。もういいや、場所はなんとなく判ってるし、歩けばそのうち着くだろう。
と、覚悟を決めて長いエントランスを歩き始めたら、子供を連れたおばさん一家が、話しかけてきてくれた。奥さんと旦那さん、その娘兄弟と娘の子供の六人家族で、遊びに来ていたようだ。どうやら、インドネシア語で高いの何だのと騒いでいたのを聞いて、道を教えてくれるらしい。
「グラハ・ウィサタ・ルマジャ」
「そうそう、そこそこ!」
そうだよ、その名前だよ!ラッキー。たどたどしい私のインドネシア語で、ちょっとだけ会話する。そうそう、タクシーは高いんだよねぇ。
正面出口にたどり着くと、車がびゅんびゅん通っている街道に出る。そこにずらりと並んでいるのは、バイクタクシー達だ。おばさんは、ユースまでのバイクの交渉をまとめてくれると、五百ルピアしか払っちゃだめよ、と私達に言う。
「ハティハティ!」
気をつけてね!と、何度も心配してくれてる。
あっ、しまった。名前聞きそびれちゃった。でもありがとう、おかげで助かったよぅ。
「テリマカシ!」
感謝の気持ちいっぱいに、ノーヘルでバイクの後ろにまたがる。走りだしたバイクは、あっと言う間に百 を越えた。車のヘッドライトが流れて綺麗だが…ここでこけたら、命はないな。生きた心地がしないが、スリリングな事このうえなし。あっと言う間にバイクはユースに到着し、約束通りの五百ルピアを払った。
バイクタクシーのハイスピードに、少しよろよろしながら部屋に戻る。
「あらためて見れば、そんなに悪くないかね。涼しいし」
帰れるか、帰れないかと言うあの騒ぎの後、無事に戻れた安心感でか、部屋を見直したらしいすずはらは、落ちついて日記など書きはじめた。私はまだちょっと気分悪くて、食欲もない…早く寝よう…。