第七章 南へ向かう飛行機

1992.10.08

ジョグジャカルタ出発の日だ。
今までの三日間、ほとんど冷凍マグロと化していた私が見ていた物と言えば、窓から見えるゲストハウスの中庭の、着実に完成に近づいてゆく装飾壁の工事だけ。朝昼晩と聞こえてくる、毎日五回のコーランの祈りが時計代わりだった。何もしないでいても、時間はどんどん過ぎてゆく。動けない退屈さよりも、流れてゆく時間の早さに目を見張る。もっと時間って、ゆっくり流れているものじゃなかったっけ。
この日から伊吹も紀行に復帰。
腰の痛みもほとんど無くなって、立ち上がる事も可能。今までの三日間が、まるで嘘のようだった。悪夢と言うには、現実感がありすぎる。動けない人間は、本当に何も考えないのだと、初めて実感した三日間だった。朝ご飯を食べようとしてベランダへ出たら、ガラスのテーブルの上には、びっしりと小動物の足跡が…。鳥にしては太すぎるし、この足型はげっし類に間違いない。すずはらが庭でねずみを見た、と証言する。
「夕べの鳥の骨、包んで捨てといて良かった」
ゆっくり仕度をすると、ロビーまで壁を伝って降りてみる。もう階段もなんとかなるし、手伝いの手もいらない。これなら飛行機に座っていられるかな。まだ出発まで時間があるので、噂のSIMCOまで買い物に行く。ティッシュと水の買い出しだ。
「これがすずはらの友達、腰を痛くした友達だよ」
マスターとすずはらがお話をしているうちに、マスターはお店のコマーシャルの入ったTシャツをプレゼントしてくれた。前にも後ろにもロゴの入った、薄手のシャツ。
「ありがとう!」
プラウィロタマン通りの、SIMCOを見かけたら、アイスクリームでも買ってあげてください。薬からお菓子まで、なんでもそろっているナンデモ屋です。
ゲストハウスに戻っても暇なので、ボーッとしていた。
「こんなにぼーっとするなんて、何ヵ月ぶりだろ…」
「三日もぼーっとしてたから、退屈だよ。ちょっと足ならししてくる」
座りっぱなしでは、腰に負担がかかるからと、私は立ち上がって歩く練習をしに外に出ていった。曇りで日差しも強くないし、涼しくて良い気候だ。すずはらは日記を書くので、ロビーに残る。
プラウィロタマン通りは、高級ゲストハウスが並ぶ通りなのだが、一歩路地を入ると民家が並んでいる。鶏がその辺から走り出して、また帰ってゆく。舗装されたことなんかない道に、バナナが生えている。塀の向こうから突きだした、大きなバナナの木の先には、赤いバナナの花が咲いていた。通りの向こうのほうを、お婆さんがゆっくりゆっくり歩いてゆく。私もその後を追うように、ゆっくりゆっくり、散歩する。
「ハロー」
あれ、こんなとこにロスメン(小さな宿)がある。
「コニチハー」
「こんにちはー」
色黒のお兄さんが、デッキチェアでごろごろしていた。日本語、ちょっとできるのかな。こんな裏通りにあるし、わりとこじんまりとした作りだし、安そう。でもなかなかムードのあるデザインだし、清潔そうでいいな。いくらぐらいなのかな。そんな事を考えながら、ゆっくりゆっくり歩く。そこの角を曲がって、そろそろゲストハウスに戻ろうかな。
「あのー、日本の方ですか?」
不意に後ろから声をかけられた。珍しく、女の人の声だ。
「ええ?そうですけど」
「ああ、さっき挨拶した人に、日本人の子が歩いてるって教えられて」
二十代後半ぐらいの彼女は、私を追いかけてきたらしい。
「あそこのロスメンに、もう二カ月ぐらい泊まっているの」
飾りっけのない彼女は、一年仕事を休んで、ジョグジャカルタに住んでいると言う。そんなに長い間、休める仕事なんて…自由業ですか、とつい突っ込んでしまった。我ながら話題作りがとても下手、だと思う。もう今日私達はここを発つの、などと話をして、残念だと言いながら別れる。もう少し早く知りあってたら、すごく良かったのに…。でも女の一人旅で、そんなに長い間インドネシアに居るなんて、すごい度胸。でも少し寂しいかもしれない、話相手がいないもの。たとえケンカしても、相棒がいる私達は恵まれていると思う。あんまり話ははずまずに、名前も聞かずに別れた。もともとコミュニケーション不全症の世代だし、相手もきっと想像していた系統の人物ではなかったので、さぞやがっかりした事だろう。
ロビーに戻ったら、すずはらがいなくなっていた。
「きっと私を探しにいったに、違いない」
想像する以前の推理なので、ちょっと道の左右を見てきてから、悠然と待つことにする。きっとすぐに帰ってくるはずだ。ちょっと疲れたので、ロビーの長椅子に横になっている事にする。
そのころすずはらはプラウィロタマン通りを、ベチャドライバーの言葉を信じて右往左往していた。マネーチェンジャーで見た、とかドゥタ・フォトに居た、とかもっとあっちに居た…とかの情報に惑わされ、ますます遠くへ…。
「はっ!」
不意にすずはらは我にかえった。
「そうだよ、ベチャドライバーは、大嘘つきなんだっけ!」
いくらなんでも、そんな遠くにまで私が行くはずがない。あわててホテルへ戻ってきたすずはらは、ロビーでごろごろしている私を見つけた。
「なによー、ほんの十分ぐらいで大騒ぎして」
「だって、普通の時と違うんだから!」
さて、やっと時間になった。日本から持ってきていた和風のハンカチを、ゲストハウスの女性スタッフに、お世話になった御礼にプレゼントする。
「本当にお世話になりました」
インドネシア語では、なんて言うのかわからない。辞書を引いたら、貴方の親切をありがとう、と言うような意味が書いてあった。そうか…。お返しに皮細工のピアスを、いくつかもらってしまった。おみやげになるので、嬉しい。


DUTA GUEST HOUSE DOUBLE US$30 (バスA/Cガーデンビュー)

やってきたのは、すごいサロンカー。これはホテルのサービスであった。カーステレオもついている。インドネシア語のビートルズを聞きながら、順調に空港へ。街道沿いには、新しいホテルがいくつもできている。渓谷の際に立っている、あのきれいなホテルはちょっと素敵だな。オープニングセールで、三割引きだって?いいなぁ。
チェックインを済ませて、早々に搭乗待合い室へ。田舎の飛行場、と言うムードのジョグジャカルタの空港は、待合い室から発着場が真横に見える。もちろん飛行機には、歩いていって乗る予定。でも売店はけっこう豊富で、バティックに宝飾品、木彫り細工もそろっている。ビデオにカセットも売っているし、怪しい聖闘士・星矢の漫画本とかも。このバティックの売店で、私はシルク織りの布に一目ぼれしてしまった。金色のペイントがほどこされた、ちょっと派手目の布なのだが、なんと75$!
「ちょっと高い…無理しても買えないなぁ」
悩んだ末に、値引き交渉してみた。
「60$か…まぁ、8,000円ぐらいって所?うーん、日本の布とあんまり値段は変わらない。三メートルで8,000円…」
けっこう贅沢品の域に入ってしまう。でも、やっぱり欲しい。とにかくすごく気に入った。滅多に気に入った物なんか現れないし、ここは思いきって。
「よし、買いだ!」
発着場を移動する、他のジェット機の熱風にあおられながら機内へ。乗り合わせたオージーの派手なおばさん、おばぁさん達がおおはしゃぎしている。インドネシアン・ムスリムの家族連れは兄弟が六人!いや七人だったか?
オージーの人たちが、喫煙に抗議してカラ咳を繰り返すノー・スモーキングのアピールを始めたぞ。いやぁ、にぎやかな飛行機だ。
そうこうするうちに、軽食が出た。
ちょっとしたおやつ、と言うかんじの食べ物が少々。お茶を飲みながら外を見たら、マドゥーラ島だろうか、大きな島と続いて山岳が見えた。これはインドネシアの国内旅行なんだなぁ。
バリまでのフライトは一時間弱。日本から八時間かけてやってくる時の、きたぞきたぞ、と言う盛り上がりに欠けると、すずはらは少し物足りない顔をしている。国内移動なので、もちろんチェックは無くフリーパスで構内へ。ホテル案内のカウンターで、サティバ・サヌールへ予約の電話を入れてもらう。
ホテル・リストは、ものすごい数だった。もっと安い所もあるよ、とカウンターのお姉さんは言っていたが、友達が待っているのと答える。(サティバのスタンダートルームは一泊72$)でも確かにもっと安くて良さげなホテルは、群れをなしているようだ。これなら予約無しでバリに来たって、全然心配はないはずだ。
バリは昨日大雨が降って、あちこち氾濫して大変だったそうだ。そういえば、まだ水をたたえている場所があちこちに見られる。そのせいかどうか、緑が生き生きしている。ジャカルタの緑はどこか元気が無かったし、ジョグジャはくすんでいるイメージだったが、バリは違う。色の鮮明さ、と言うか濃さが違うのだ。生命力が植物からも感じられる。
サティバ・サヌール・コテージは、1990にできたばかりの新しいこじんまりとしたホテルで、海には面してはいないが、可愛いプールを取り囲むようにコテージが並ぶプチホテル。椰子の木をそのまま残して建てられたフロントに、なかなかのセンスの良さを感じさせるホテルだ。チェックインをして、石堂たちの事をたずねたら、病気の友達とは君たちの事か、と聞かれてしまった。すでに知れ渡っている。フロントマネージャーは華人系のおじさん。英語はベリグーだった。部屋はコテージの1Fで、隣は石堂たちの部屋だった。残念ながら後ろ向きの部屋で、プールは見えない。
せっかくバリで一緒に遊ぼう、と誘ったのに今晩一日しか一緒にいられないなんて…。いくら近所に住んでいて、すぐに会えるとはいっても、こういう所で会うと、また違うんだけどね。
荷物をほどいてから、外へ出てみた。昨年帰りぎわに知り合った、DEWA君の店は、どこかな。一度手紙をやりとりしただけだけど、せっかく来たんだから、行ってみよう。うろうろしていたら、すずはらが名前を呼ばれた。
「え、私の顔、覚えてたのー?」
一年ぶりに合った彼の髪はさらに伸びていて、日本語も上手になっていた。
昨年のホテル、スリア・ビーチコテージに泊まった時、本当に帰りぎわに声をかけられて、ちょっと話をしただけなのだが、すごい記憶力だ。私は彼の事は、知らない。その時私はホテルで、なかなか戻ってこない彼女達を心配して、いらいらしていたのだから。彼の店(みやげ物屋の留守番店員)で、そのまま一時間ぐらい話し込んでしまった。つまりそれぐらい、彼は日本語が出来るようになっていたのだ。私のインドネシア語なんて、十分もたせるのがせきのやまだと言うのに。日本のこととかバリのこととか、とりとめのない事を話していたが、ふと思い出してベモの料金の事をたずねる。
「ここからスーパーマーケットまでベモに乗ったら、どれぐらいかな」
「ソウネェ…カンコウキャクなら、ダイタイ1,000RPグライデ」
ああ、そうか。
本当は正規の料金はだいたい知っている。
おおよそRP200ぐらいなのだ。でもそれは現地の人のみの料金で、観光客はチップも込みで、もう少し割り増しして払うのが、人の礼儀というものだ。だが彼の相場は少し、高すぎる。何しろ正規の五倍なんだから。
700だの800だのまでならともかく、桁が違う値段を口にできる奴を、私は信用できない。いくらみんながバリニーズにしてはシャイだの、真面目だのと言っても、私は実際彼に会うのは初めてだ。やはり自分の目でで相手を見る方が絶対に良い。それにmoneyのパワーはどこでも正直だ。それにだいいちこんなに口の達者なバリニーズが、すごくシャイだなんて私は信じられないぞ。
デワ君は、Jさんたちが6時にここに来る約束をしている、と教えてくれた。それじゃあ、そろそろかな、とホテルに戻ってみたが、まだ誰も帰ってきていなかった。実は一度戻ってきていたらしいのだが、そのまま食事に出かけてしまったらしい。メッセージでも置いてくれば、すれ違わなかったのだけれど。バリに到着する時間も知らせてあったし、まさか入れ違うとは思ってもいなかった。
そろそろ私達も空腹になってきたので、サヌールのスーパーマーケット、ゲラエル・デワタに出かけることにする。ケンタッキーフライドチキンとスウェンセンズが併設された、大きなマーケットが街道沿いにある。その前に写真を現像に出そうとして、ホテルの前にあった写真屋でごちゃごちゃしていたら、食事に行っていたJさんが現れた。そこでいきさつを話し合ったが、何だか話が噛み合わない。何だか変だな、と思ったけれど、まぁこんな所で立ち話もなんだしと思って、写真屋から引き上げる。10日の日にデワ君たちとビギナー向け島内観光に行くことを、彼に言いに行くと言うので、そのまま別れて私達はスーパーへ。
 乗り合わせたベモには、オーストラリア在住の日本人のお父さん、オージーお母さんに、ミックスの兄妹の一家とおしゃべり。一昨日、名古屋から来たお父さんは、現地は摂氏7度だったと教えてくれた。彼らは、ガセボコテージに泊まっていると言う。一度泊まってみたいホテルの一つだ。
 ゲラエル・デワタでは、牛乳とコーラ、咳止め薬と喉飴を買ってケンタで食事。
「やっぱり、チキンの味が違うなぁ」
「ジューシーでおいしい!」
肉がそもそも違うんだろうか。ポテトは、全く同じ味なところがリアルだなぁ。
帰りもパブリック・ベモで帰ってゆく。あれ、どうもおかしいなぁ…。
「行きすぎた!」
「えっ?」
途中でそう叫んで、思わずベモを降りた。
「なんで、そんな事ないよ。もっと向こうじゃない」
「違うよ、もう過ぎちゃったよ」
薄暗くなったサヌールの道なりに、てくてく歩いてゆく。だんだん暗くなって、レストランの光が眩しい。だがどんなに歩いても、たしかここだったと思った場所につかない。
「おかしいな…」
「だから、まだずっとむこうなんだってば」
そういえばここは、バリハイアットの前。どうも勘違いしたらしい。私達のホテルまで、あと一キロぐらいはある訳だ。仕方がないのでもういちどベモに乗って、帰ってきた方向へ向かう。なんだか勘がにぶってる。体調が悪いせいだろうか。
ホテルに戻ると、夜のプールで泳いでいる日本人女性一行の姿が。プールサイドでは、ちいさな子供も交えた一団体となっている。疲れたので部屋でひと休みしたいと思っていたが、泳ぎたいと言うすずはらに部屋から引っ張り出された。腰がまだときどき痛んでいるせいで、身体の他の部分に負担がかかっているらしい。いつもの倍ぐらいの疲労感がある。でも、せっかくみんなプールにいるんだからと、ビデオを持ってプールへ向かう。まだ全員そろっている訳ではなかったが、それでもけっこうな大人数だ。
すずはらが今までの事を、まるで機関銃のようにしゃべりまくっている。もうどうにも止まらないといった感じ。ここにくるまで、とにかくトラブルだらけだったし、大変だったけど、これでしばらくはほっとできるかなぁ。
と、そうこうするうちに、足りなかったメンバーが戻ってきた。Jさんと一緒にバリに来た社長さん(仮名)は、以前ぎっくり腰をやったことがあるそうだ。たかがぎっくり腰と侮るなら、一度なってみるといい。骨折より発熱より、下痢よりもタチが悪いものなのだ。

サティバ・サヌールコテージ・スタンダード $72+TAX10%

満月のバリ島

1992.10.09

午後にはホテルを離れて、ウブドゥへ行くつもりだったが、午前中にマユとサウナとマッサージのサロン、スハットク(あなたの健康と言う意)へ行く約束をする。
MEGA(定価で安い銀製品の店)に向かったJさんたちと別れ、マユたちとサウナへ向かった。最近のベモは道を知らないドライバーが多いらしく、また少し行きすぎてしまい、ひとしきり炎天下を歩かされる羽目になった。しかし、サヌールビーチは来るたびにこぎれいな店が増え、ますます観光地化してゆく。
サウナはまだ施設が新しくて、こぎれいな感じ。フロントでコースを指定して中に入ると…でっかい「ゆ」文字のノレンがかかっていた。中にはジャグジーバスとサウナ、冷水シャワーやハードシャワーがそろっている。
すずはらはアカとりマッサージに挑戦。泥みたいのを塗りたくられて、ごしごしこすられている。
「あんまり気持ち良くて、何だか眠いよう」
と声が聞こえた。けっこう気持ちよさそう。 
その後で本格的な指圧に入る。私は腰の辺りには触らないようにしてもらって、固い床で寝てこりまくった肩と脚を重点的にマッサージ。美人のお姉さん達は、シンガポールまで指圧の勉強に行っていたという本格派。さば折りや吊り天井みたいな技をかけられている人もいる。私たちが常連の、温針堂接骨院も気持ちいいが、ここもすごい。
マッサージの後は、マユはフェイシャル・トリートメントへ。私とマユの妹ミーヒャンとは、インドネシア名物クリームバスを…。
言うなれば洗髪なんだけど、その前にたっぷりとヘアクリームを髪に塗られ、たんねんに表皮をマッサージされる。これがまた、気持ちいい。
休憩室ではロビンフッドの映画が流れ、軽食もサービスされる。別の女性グループもいたが、日本人ではなかった。シンガポーリアンか、ホンコンヤンか…。とりあえず中国系の若いグループだった。そういえば日本人も中国人も、こう言う場所でフレンドリーに接触しようと思わないところは、良く似ている気質だと思う。これがアメリカンやオージー、インドネシアンであったりすると、ちょっとしたことですぐコミュニケーションするのだろうけれど。
ここで二時間以上リラックスタイム。もしかしたらこの旅で、一番リラックスできた時間かもしれない。 


スハットク料金   
スタンダードコース RP54,000($27)   
クリームバス RP12,000($9)  
ルラーマッサージ(アカスリ) RP22,000($12)

タクシーを呼んでもらい、夕刻の雨の中をウブへ。泊まるところは特に決めていなかった。
ドライバーはなかなか口が達者なバリニーズで、良いホテルがないかと一緒に探してくれたが…だんだん暗くなってくる上に、また雨が降り出す。
焦った私たちは二件目に出会ったAdi Cottageという適当なロスメンに決めてしまった。一見普通だが、中はなんとなく荒れていて、あまり良くない。良くない上に、そこそこの値段である。

Adi Cottages RP40,000+TAX10%

ツインに旋風機のみ。ホットシャワーは使える。
雨が止むのを待って、食事とツーリストを探しに外出する。食事はいつものカフェ・ワヤンに入った。結構混んでいて、人気があるのがわかる。でも、初めて来た時とずいぶん味が変わった。量が多いのは相変わらずで、ミ・ゴレン(インドネシア風焼きソバ)ですらも食べきれない。
ウブの道は両わきの溝がゴミで詰まっていたせいで、汚水があふれてすごいことになっている。水もゴミも何もかもがいっしょくただ。
コテージにもどってから、明日はもっとマシな宿を見つけるか、移動をすることに決める。もうなんだか疲れきってしまって、洗濯をする気力もない。水場でばしゃばしゃと音を立てているすずはらを気にしながら就寝、お休みなさい。
……………………
「気になる」
私の後を追うようにベッドに入ったすずはらだったが、いかんせん眠れない。こんな事は初めてだ、たいていすずはらは寝つきが良くて、ベッドに入ればすぐに眠くなる。
部屋の隅にある棚のことが気になって、どうしても寝つけないのだ。しかたなく起きあがってカーテンを開けてみたが、開けたままはもっといやだ、と言う事がわかっただけ。でも閉めておくのも内側が気になるし…。どうしたんだろう。
「これは…もしかして…」
こうなったらアレしかない!
すずはらはこんな時のために持ってきた、珊瑚の数珠を鞄から取りだした。それを握りしめたら安心したのか、すぐに眠れたという…。
うーん…なんだったんだ。

1992.10.10

昨日とはうってかわって快晴!気分も晴れ晴れ、かな。 朝もやのウブを散歩する。ベベ(あひる)の集団朝食を見たりしながに、モンキーフォレストまで歩く。
すっかり観光化してしまった森の前には、入場料を徴収する場所ができている。だがこんな早朝では誰もいない。門番もいないが、猿もいないぞ。
静かな森を抜けて、ライステラスを身ながらぐるりと回って、コテージまで帰ってきた。
朝食にはバナナパンケーキとフルーツとお茶、まぁけっこう美味しい。他の部屋にいたらしいオージーのおじさんと、ちょっとだけ会話をする。ちなみに二人ともインドネシア語で、でした。ああ、ハブアナイストリップぐらい言えれば良かったのに。
宿のはすむかいにあった、サクラツーリストで、チャンディ・ダサ行きのシャトルバスを手配する。出発は十一時、それまでに買い物とかはすませておこうと、あちこちを徘徊する。すずはらたちが昨年来て、大量に指輪を勝っていった銀細工のお店はクローズしていた。サイクルが早いというか、なんというか…。
ピックアップにやってきた車は、ほとんどスシ詰め状態。すずはらの怯えることしきり。何しろ座っている場所が、ほとんどない。
「こ、これで二時間行くの?」
「…まさか」
と、思っていたら、ちゃんと乗り換えがありました。慣れているオージーは、さっさと良い席を確保して、ぼやぼやしていた私たちは、一番後ろの端に追いやられてしまった。遠慮なんて物は、ドブに捨てちまえ!
バスは猛スピードで発進。
クーラーはないけど、激しく風が入ってくるので、思ったより暑くはない。まぁ、狭さもそこそこ。とにかく座っていられのだから。真冬の東京、中央線や小田急線のラッシュとを思い出せば、こんなものは「へ」だ。
インドネシア観光年のおかげか、道路はのきなみ良くなっている。初めて来た時の事を思い出すと、信じられないぐらいだ。あの時のビデオは上下左右に揺れまくって、とうてい正視できないぐらいひどかったのに、今ならほとんど静止画面が撮れるだろう。
チャンディ・ダサまでには色々な村を通ってゆくことになる。村の入口にはそれぞれモニュメントがある。赤ん坊や象の像、戦士や塔などが立っている。
古都クルンクンの町を通り、港町のパダンバイへ。ここは隣の島、ロンボック島へ渡るための船が着く場所だと言う。ここでシャトルバスをいったん降り、ロンボック行きとチャンディダサ行きの二手に別れた。
気がついたら、日本人は私たちのグループの他に二組混じっていた。いかにもサーファーな女の子二人組と、一人旅風の男の子。女の子はちょっと私たちみたいなのには近寄りがたい感じ、学校でもあんまり話さない、派手グループの子、かな。男の子はロンリープラネットのバリ島ガイドとか持って、奥地まで冒険するぞ、タイプかな。勝手に決めて悪いけど。
どっちにしろ、日本人には話しかけられたくない、と言うムードが立ち昇っていた。どうしてみんな、私はここでたった一人の日本人、になりたがるのだろう。いったいそれにどんな価値があるのか。ジョグジャカルタで話しかけられた時、私はけっこう嬉しかったが…。
チャンディ・ダサで泊まるホテルは最初から決めてあった。チャンディ・ビーチ・コテージ2。ちなみに一は無いそうだ。セーフティ・ボックスもちゃんとあるし、フロントも立派。日本のツアー会社も使っていると言うのに、これで一泊$40だ。
しかしチャンディ・ダサは風が強い。浜辺に出て風に拭かれると寒いぐらいだ。浜辺は四メートルぐらいしかなくて、すぐに海になっている。でも遠浅であるのは変わりがないらしく、海の底がずっと遠くまで見える。沖には島影が大きく広がって見えた。
「あれがロンボック島か?」
「まさか、そんなに近いはずが…」
と思って調べてみたら、全く違っていた。沖に見えるのは、地図で見たらつついた点ぐらいの小さな島。ロンボック島はもっと大きな島のはずだ。
「近いから大きく見えるんだわ」
島を横切って船がゆく。あれが、ロンボックへ行く船だろうか。