人物往来

女神に仕え、正義を守ると言われる聖闘士達の聖域に謀略の影が発覚したのはつい最近のことだが、それ以前にも何度かそのような事件は起きていた。現在、聖域を代表する真の教皇はその骸を祈祷所に晒し、無残な姿となっていた。何故そのような事件が起きるたか。聖域の特殊性も書き加えながら、ここにその歴史を残したい。
計り知れない遥かな過去から面々と続いてきた聖闘士達…彼等の使命は女神を守ることだがもう一つ、魔と戦い封じる事にもある。彼等は女神を頂点に教皇となる聖闘士(黄金)を将として白銀、青銅と位を重ね人数を増やし、兵卒まで数えるとその数は小さな国家程にもなるのだが、全てがギリシャの聖域に住んでいる訳ではない。
聖闘士は称号を戴くと共に、次の世代を育てる義務をも課せられる。聖域に仕える者を絶やさぬ為に。しかし、前教皇の時代には全ての聖衣の所持者が失われるほどの戦いが起こった。黄金聖衣も二人を残して地に弊れ、継承者もいなくなってしまった。これは聖域の存続すら揺らぐほどの由々しき出来事であった。その為に早急に聖闘士を育てる必要性が求められ、次々に素質のある少年たちが聖域に招集され、訓練を施されたのだろう。この代の黄金聖衣は極めて幼いうちに称号を戴いたが、それは聖域の歴史の内でも異例の事であったのだ。
おそらく、その聖戦では聖闘士同志の戦いも行われたと推測される。現在の聖域における私闘を禁じる厳格な掟は、その為に作られたのだろう。なぜなら、ほぼ互角の力を持つ同クラスの聖闘士が全力で戦えばどちらかではなくどちらもが、その戦いのうちに力尽きる事が判っているからである。聖闘士が私闘のうちに失われてしまう事を惜しんだゆえの掟と言えるのだがそれは形骸化した法の元では、悪戯に逆の働きをしたようだ。
現在教皇と名乗る男は、もと黄金聖衣(双子座)のサガであると先日判明したが、彼が二重人格者であったことも周知の事実である。彼が聖衣を戴いた時、他にいた聖闘士は前教皇と老師(天秤座)のみであったが、年長であった彼とアイオロスは既に訓練を施されていたかと思われる。そして彼等もすぐさま弟子を取り、次の黄金聖衣を育てる使命に追われた事だろう。
これはあくまで想像だが、老師の弟子は三人いたのではないかと考える。それはデスマスクとシュラとムウであろうと思われるのだ。何故ならばデスマスクは老師に対して並みならぬ感情の交差があり、ムウにも又それが向けられる。そしてシュラはデスマスクからの影響が大きいからである。その上新たなる弟子として教育されたのは紫龍なのだ。この四人に何か共通するものを感じるのは私だけであろうか。
年の功で三人の聖闘士を老師が育てたとすれば、アイオロスサガの年長組も聖衣を得ると同時に弟子を取ったであろう。アイオロスはおそらく弟アイオリアを、そして正体を薄々感じつつも教皇を守ろうとしたシャカとアフロデイーテは、サガに教えられたのかもしれない。あまりにも幼くして黄金聖闘士という最高の位を手にした彼等が、自らの師に対して親に抱くような感情を持ったとしても何ら不思議ではない。それは人として当然の事である。
只、彼等にとって不幸であったのは女神がその間不在だった事だろう。最も女神のおそば近くに畏敬の念をもって仕えねばならない聖闘士であるのに、彼等にはその対象が最初から存在していなかったのだ。ゆえにその愛情は頂点たる教皇に捧げられる。伝説と化した架空の女神にではなく、目の前に君臨している最も強い男にだ。しかし女神は存在した。
けれども今となっては黄金聖闘士達も後へは引けまい。何しろ彼等は聖闘士の中でも選ばれた存在の十二人なのである。幾ら女神の名を掲げようとも、最下級の青銅聖衣になったばかりの少年になど負ける訳にはいかないのだ。それは聖域の歴史に一度たりとなかった恐るべき造反であり、築いてきた秩序を乱す元となる。だから彼等は星矢達を執拗に先へ行かせまいとするのだ。それまで信じてきた現実と、秩序を守るために。
彼等の秩序とは今現在における政事によって統制されたものであり理想とされる女神の納める聖域ではないだろうと思われる。女神によって統一された聖域などという物は彼等にとっては夢物語に過ぎず、彼等が求めるものは現実の平穏以外の何物でもない。新たな物──見知らぬ物を排斥しようとするのは当然の事だ。星矢達は確かに今まで信じていた世界の破壊者であり、侵入者なのだから。誰にとっても現実を犯す者は悪であり嫌悪される。それがたとえ真実であろうとも。

特集 人物往来
書かれざる聖域の歴史 恵瑠
聖域空前のお家騒動を
起こした青銅聖闘士達
と教皇の裏面を綴った
聖域の歴史!

その運命 切なくて さだめ 魔鈴
聖闘士の心に脈々と流れる
戦いへの渇望と苦悩は、只
聖闘士のみならず、全ての
人間に存在する真実の姿だ。

聖闘士と云うものは何しろ戦う事を前提としたものでありその戦いとはすなわち敵である所の人間を斃す事なのです。聖闘士になる為の聖衣争奪戦を初めとして、いつか戦う事になる魔の使徒であっても何れも人です。その命を奪う事もあるでしょうし、傷付ける事にもなります。しかし…その見返りに私達もいつこの身体が滅びる事になっても、それは運命と受け入れねばなりません。
それを可愛想だと思われますか?いいえ、それは決して悲劇ではありません。私達、聖闘士と呼ばれる者達はおよそ全ての人間達より、戦う事が好きなのです。で、なければこの凄まじい修羅の地獄の中で聖衣と言う頂点を極めた象徴を手にする事ができたでしょうか。私達は戦いに際して顔に浮かぶ笑みを止める事ができません。相手を傷付け、血を流させ勝利の快感に酔う、あの心地好さを捨てる事ができないのです。 サガ
そのような性を持った者達が互いに噛み合いを続けるのが聖域の底辺の姿です。聖闘士同志の私闘は禁じられていても何処かで誰かが血を流し続けています。他者を傷付けられないならば、自らを鍛える事しかこの欲望を満足させる事はできませんから。聖闘士とは戦うことが日常であり、当然なのです。ですから平和な時代に生まれた聖闘士と云うものはまさしく生殺し。戦う事にしか焦点の合わない眼差しは空ろなままでしょう。
聖闘士というものが短命で、一人前にされるのが一概に早いのも戦いを好む性癖の為です。常に力を競わねば心の落ち付かぬ者が、そうそう長命である訳はありません。それは、そうそう長命である訳はありません。それは、よほど達観した聖闘士──黄金聖衣を持つ者でなければできぬ事でしょう
対する者が強ければ強い程、戦いを好む私達の血は猛り喜びに震え、自らを滅ぼしてもなお、その戦いに手を染めなければ満足できないのです。それが私達の命の源であるから。戦い…これほど楽しい瞬間を私達は他に知らない。
この気持ちを理解して頂けるでしょうか。他者を傷付ける瞬間を待ち望む人間などいるわけはないときょひされるかもしれません。けれども外の世界にも私達と同様の人々はいるはずです。で、なければ次代の聖闘士を育てることなどできません。私達の導師は、戦いを義務や命令、強制で行わせるのではなく、自ら望む者の素質を引き出す為に教育を行うのです。不幸にも戦いが性に合わず命を落とすことになる者もいます。それでもなお生き延び、戦いに心を燃やす者達の中から聖衣がその星に属するものを選ぶのです。
けれども私達とて、平和や安らぎを求めぬ訳ではありません。そのひとときは少ないからこそ貴重で、まさしく太陽の光のような眩しささえ私達に与えてくれます。それがどれ程私達を支えてくれているか、計り知れぬものがあるのです。しかし、それでも私達はその光の中に永遠に住まう訳にはゆきません。長きにわたりそこに身を休めれば、本来の私達の血は次第に狂ってゆくでしょう。決して、私達はの血は優しき時代に満足してくれないのです。再び戦いへ、修羅の道へと無形のものがやまず呼ぶのです。
だから私達は聖闘士と呼ばれる者になりました。おそらくそれはそうなるべくしてなった運命というものかもしれません。女神を守り、平和を築くと言う大義名分を与えられながら、永遠に続く喜びの道を血まみれの足で歩き続ける私達の運命は、悲しみとは又異なるものであり、切ないという言葉で十分でありましょう。