うずくまるラン。腕に跳ね返った帰り血を舐めるホウジュ。微笑みが張りついている。
が、その瞬間、まるで何かに欠き消されたようにホウジュは消え、彼方のバールの横に立っていた。
「何故戻したっ!」
「つなぎの草に、きつく言われたのを忘れたか?遊ぶのはやめろ。急がなければ、戦神宮に気どられる 」
「バール… 」
戦いに水をさされて、ホウジュは機嫌が悪い。
「おまえ、私を手伝うのが仕事ではないのか。邪魔をするなら、もういらん」
「…あと1回飛ばす。それで終われ」
ホウジュの言葉に翻弄されるようなバールではない。顔色も変えずにホウジュに告げ、ホウジュも又、何もなかったかのように再び剣を構えた。
バールが飛燕の技を使い、ホウジュを飛ばす。そして一瞬にして、ランのそばにホウジュが現れる。
「てめぇ、どこからっ!」
傷ついた腕を庇って、ランはホウジュの一撃を地面に転がってかわす。泥塗れになってひどいありさまだ。地面がぱっくりと割れてランは脚を踏みはずし、悲鳴を上げながら底へと滑り落ちていった。
「弱いものは…嫌いだ」
ホウジュは落ちてゆくランを見ながらつぶやいた。
紫雲閣。輝きを増した伊耶那岐が、部屋に黒々とした影を作り始めた。障子から漏れる奇妙な輝きに、人々がワヤンの部屋に集まってくる。
「何事じゃ。一体、どうしたことじゃ」
牡丹は障子を開ける事ができず、部屋の前でうろたえていた。
「下がっておれ。誰も中に入るでないぞ」
駆けつけた神葉は、牡丹を後ろに下げるとレギオンに目で合図を送る。障子に手を掛けたレギオンは、無造作にそれを引き開けた。
そこには、光を増した伊耶那岐を持つワヤンが、ぼんやりとした表情で立っていた。
「ランが…」
「ワヤン、どうした?」
「ランが、伊耶那岐を呼んでる…」
レギオンにワヤンは、ほとんど白に近い色になった伊耶那岐を差し出した。それに手を伸ばし、レギオンが触れる。が、その熱さは聖武将のレギオンの手の平を灼くほどのものだった。上がる煙。
「…」
少し眉をしかめるレギオン。
「ランに…伊耶那岐を…届け…」
言い終わらぬうちに、ワヤンはその場に倒れ込んだ。あいている片手でレギオンが支える。
「何者じゃ、この子は」
「アルアイユーンが、真のミカドだと言って軟禁していた。が、まさか…」
「その噂、聞いたことがある」
部屋から下がったはずの牡丹達が、部屋の中に立っていた。
「帝都のミカドは偽物…真実のミカドが、いずこかに隠されておると」
「滅多な事を!,太夫といえど口を塞がれますよ!」
女中が真剣な眼差しで、牡丹に言った。そばにいたマツバが、勇気を奮い起こして口を開く。
「ランが、まだ森から帰らなくて…まさかとは思うけど…。もう月も昇るし…」
「神葉、ワヤンを頼む」
レギオンは立ち上がった。
巨木の根本に身をこごめたランは、引きちぎった服の布地で、傷を縛っている。だが、かなりの深手がランを苦しめていた。
「あいつら…何者だ。盗賊じゃないし、剣士でもない…まさか…」
ランはふと思い当り、戦慄した。
「牙か?」
風が吹き抜けて行く。
「暗殺者の…牙!」
ざわざわと殺気で巨木の枝が揺れている。
「誰かが…俺を消そうとしている…?」
その巨木が、縦一文字に切り裂かれた。
「…っ!」
跳ね飛ばされたランは、身を庇うこともできずにそのまま地面に投げ出される。
身動きも出来ないランに、見下ろすホウジュの視線が冷たい。
「く…」
ランは意識は残っているものの、身体が動かない。
「冗談じゃねぇ…こんな所で…おしまいにされて…たまるか」
かすかに身動ぎするランに、ホウジュが剣を振りかぶる。が、ぴくっと気を感じて、その手を止めた。その間を縫って、ランの間際に伊耶那岐が飛きて、鞘ごと地面に突き刺さった。
「ラン、立て!」
レギオンの声がする。
「剣を取れ!」
「加勢か」
ホウジュはランを一瞥すると、身を翻してレギオンに飛びかかった。
「こちらの方が、よさそうだ」
切り結ぶ稲妻が、黒の森を照らす。レギオンの重い一撃を、ホウジュは風に乗ってよけた。
ひらりと降り立った岩の上に、半月が登っている。風に吹かれて、ホウジュの着物が翻る。気合いを込めた一撃が、ホウジュとレギオンの間に閃いた。
「!」
気の重さばかりは、とてもレギオンにはホウジュはかなわない。ホウジュの身体は吹き飛ばされる。
「レギオン!そいつは、俺の相手だぞ」
崖から這い上がってきたランが、伊耶那岐で身体を支えて怒鳴った。
「ラン!」
「よくもなぶりものにしてくれたな!てめぇ、牙だろう!」
「左様」
白い顔でホウジュは答えた。
「宰相より、貴様を消せとの命を受けた」
「…何…?」
「戦神宮が貴様を探している。帝都に引き立てられ、恥辱の中、さらしものとなるより、私の手にかかり、人知れず死んだほうが貴様の誇りも保てようとの、宰相殿の哀れみよ」
「待てよ!俺はこれから帝都に行って、大僧正様に訳を…」
「必要ない。貴様はすでに反逆者。そして私の獲物…」
ホウジュの剣が閃く。ランは、伊耶那岐を構えて攻撃を受けるのがやっと。
「…くそっ!戦神宮も気が短いぜ!」
ランが、伊耶那岐を振り回した。一撃がホウジュの立っていた岩を砕いたが、ランの力が尽きて、膝を付く。
「貴様は弱い…けれどお前は…」
レギオンを振り向くホウジュ。
「お前は私より強いかもしれない…」
ホウジュがうっとりした目でレギオンに刃を向けると同時に、バールの声が割って入る。
「やめろ、ホウジュ!その男は駄目だ」
「何故だ」
「聖武将には手を出すな、忘れたか」
「…忘れたな…」
にい、と笑ってホウジュはレギオンに切りかかっていった。
舌打ちをするバール。彼は森から離れた高台で戦いを見ているのだった。
「わがままを…」
バールの表情が歪む。ふっと高台から姿を消すバール。そのまま、次の瞬間にはホウジュの背後に現れて、彼を片手で横抱きにした。
「バール!」
「お前が悪い」
レギオンとランの見る前で、二人は姿を消した。が、バールの声だけがどこからともなく響いてくる。
(我等の命続く限り、貴様の鼓動は明日にも絶える。それを避けたくば、来い。我等は還らずの丘に居る。剣士ならば、必ず来い)
「…行くぞ!」
ランが叫んだ。
「行ってやるぞ!てめぇらなんかに、追っかけ回されてたまるか!卑怯な手しか使えねぇくせに!待ってろ…」
と、ランは自分の血にむせて、深い咳を繰り返す。
「俺は…反逆なんか…して…ねぇぞ…」
力尽きたランは、伊耶那岐で身体を支えることも出来ず、ゆっくりと地面に倒れていった。
紫雲閣。マツバが落ち着かずに裏口で待っている。物音がして、マツバが振り向く。そこで見たものに、悲鳴を上げた。
「…ラン!」
レギオンは、ぐったりとなった血塗れのランを抱えていた。
「手当を頼む」
帝都の戦神宮が見えている。ランの意識だけがそこを走っている。早く大僧正に会い、自分の無実を知らせようとしている。
(俺は、ミカドや帝都に逆らう気なんて、ぜんっぜんないんだからな!早いとこ行かなくちゃ…)
いくつもの扉が激しく開けられ、ランはようやく戦神宮の奥の間、自分が知っている唯一の場所にたどり着いた。
(う!)
がらんとした広間に、宰相が立っていた。
(…宰相ローエングリン…)
ローエングリンは、ランを見るなり言う。
(遅かったな)
(俺は…!)
(お前の処分は決定された)
(誤解だ!俺はミカドに反逆なんかする気はねぇよ!)
(お前がここにいるのは誤りだ)
(違うって!俺はただ…)
(お前程度の剣士なら、大勢いる)
ローエングリンの口もとだけが笑っているのが見える。
(お前の代わりなど、いくらでもいる)
右手を上げ、出口を指し示すローエングリン。
(出て行け)
ランは、次第に焦りよりも恐怖に捕らえられて行く。
(言うな…)
(…)
ローエングリンの唇が、かすかに動きを見せた瞬間、ランは叫んでいた。
(そいつを、言うな!)
冷や汗にまみれ、荒い息とともに飛び起きるラン。外ではピチュピチュと鳥の声がしていて、朝がきたことを知らせている。
包帯が頭や腕に巻き付けられ、ランの手当は済んでいる様子だった。
「夢…かよ」
何という恐怖、とランは自分の喉の当りを押さえた。からからに渇いている口が、まだ震えている。
「いったい何が嫌だったんだ、俺…」
ぼんやりとしているランの部屋の襖の外がふいに賑やかになったかと思うと、いきなりワヤンが飛び込んできた。
「なっ、何だっ。どうした!」
「ラン!助けてよ、ラン!」