訓練の続く日々を大勢の人間と共に生活していても、任務のために一人きりで日々を過ごしても、ヒイロにとっては同じことだった。そこに居るようでいて、居ないに等しい無機質な周囲の人々が、本当に居なくなったところで何も変わらない。
それ故にデュオ・マックスウェルと共に、同じ屋根の下で暮らすようになっても、彼が自分にとって邪魔な存在であると感じることはなかった。他者はヒイロにとってはゼロだ。ゼロに何を掛けたところで、ゼロ以外のものに変わることはない。無は静かで全てを凌駕する、絶対の存在だ。
どうしてデュオがヒイロと同居したいのかと言えば、彼の弁によればヒイロ・ユイの行動は危なすぎる、ほっとけないのだということらしいが、いったい自分のどこがデュオにとって危険に思えるのか、本人としては理解しがたいところだった。
「で、さぁ。しばらくオレ、留守にするから。別に何も無いと思うけど、誰かオレに連絡取りたがってるヤツがいたら、オレは火星往復してるって言っといてくれな」
「ああ」
人間の感情をありのままに表現するデュオの顔が、気のない返事を返すヒイロの声に苦笑いを見せた。
「ちゃんとだぜ、ちゃんと。ま、たまに連絡入れるから、なんかあったらそん時にな」
「ああ…」
面倒だが仕方がない、と言いたげなヒイロの声だったが、それでも彼がイエスと答えるのならば、決して約束を反故にしたりはしないだろう。
必要の無い物を何一つ持ち込まないヒイロの部屋には、物がほとんど置かれていない。身を清潔に保っておける程度のグルーミング用品と衣服、それにコンピューターの機材が一式。薄いモニターとキーボードが、うっすらと唸りを上げる機械本体のすぐ側にあるだけだ。
「…ちゃんと、メシ、食えよ。市販の栄養剤なんか、当てにできないんだからな」
「わかってる。…行くなら早く行け、チェックインに遅れるぞ」
「はいはい」
同居人がスチール製のドアを閉め、鍵をかける音をヒイロは片耳で聞いていた。
生活は何も変わらないはずだった。実際に何も変わることはない。デュオが居ないからといって、ヒイロが困るようなことはあり得ないからだ。部屋の中にある様々な生活用品の場所や使い方を、知らないはずもなく、また使うことができない訳もない。
ましてデュオが出かけてからの数日は、どういう訳か彼の気配が部屋の中のあちこちに残っていて、ヒイロは自分が独り暮らしをしていると言うことを、実感できずにいた。食堂の辺りや玄関の辺りに自分以外の気配を、ヒイロは何度も感じとってしまうのだ。日が過ぎれば薄くなるその気配が、デュオのものであることは言うまでもない。
人の存在感の強さが、これほど個性のあるものだと言うことを、ヒイロは初めて知った。
陽射しの眩しい昼間は感じないのに、夕暮れが近づいてくると不思議とデュオの気配が部屋の隅から立ち上がってくる。またあの陽気な声で、仕事の邪魔をしてくるのではないかとヒイロが考えると同時に、デュオが留守である事を思い出した。
「妙だな…」
キーボードを叩く手を止めて、ヒイロは一人呟いた。
「考える必要など、無いはずだが」
たまに連絡を入れると言ったデュオだったが、まだ一度も連絡は無い。通信手段が無いとは考えられないが、その時間が取れないのか。
どちらにしろヒイロには、デュオに連絡を取らなければならない理由が無いのは確かだった。
無意味な考えをする時間が惜しいヒイロは、ぴたりとその瞬間に意識をモニター画面に集中すると、さらりとデュオの事を思考から追い出してのけた。
子供の頃は夜に見た夢をよく覚えていた。怖ろしい夢も楽しい夢も、くっきりとした輪郭で記憶に焼きついていたものだが、成長するに従って夢を見なくなる。いや、見てはいるのだが覚えていることか少なくなっているのだろう。
ヒイロが久しぶりに見た夢は、何でもない日常の夢に過ぎなかったが、なぜか目が覚めてからもはっきりと覚えていた。いつものようにデュオが食堂に立っていて、ヒイロが嫌いなシリアルの朝食を、当然のように準備している。何度説明したら、ソレを朝から食べるのは嫌だということがわかるのだと、不愉快そうにデュオに抗議しているところで、ふと目が覚めた。
しんと静まり返った部屋の空気に、自分が一人きりであることを思いだし、ヒイロはまだ半分ほど眠っている様子の自分の身体に、朝の意識を吹き込む。
「そうか…あいつは、居ないんだったな」
面倒で理解しがたい事ばかりを言う、ヒイロにとっては不可思議な同居人が居なければ、自分本位の快適な生活を送ることができるはずなのに、ヒイロはそれに満足できないでいる自分を見つけていぶかしむ。
「どうして、あいつの夢なんか…見なくちゃいけないんだ」
出かけようとすれば何処へ行くのかと必ず訊ねられる事もなく、食事のタイミングを指定されることもなく、全ての時間を自分の思うがままに使えるというのに、自由を手にした解放感を満喫できない。
不自由さがいつのまにか日常になってしまっていることに、ヒイロはやっと気づいたのだ。
「そういえば…もうどれぐらいになるんだろうな、あいつとこの場所に住むようになって」
オペレーション・メテオの間中、一カ所に留まらないようにと気を配っていたのとは違い、今はもう移動する必要性がない。ましてコロニーで訓練を受けていた頃に比べ、生活感というものが濃くなっている。
「いつのまにか、俺も…この暮らしに慣れていたんだな」
自嘲気味に漏らすヒイロの言葉の語尾が、かすかに笑っている。
ベッドに横になったまま手を窓に伸ばすと、ヒイロは遮光カーテンの裾を握って、斜めに引き開けた。許可もないのに白い朝の光がガラス越しに部屋に飛び込んでくるのが、まるでデュオのようだとヒイロは思う。この眩しさに顔をしかめながらも、無ければ目は覚めない。
ろくに衣服もまとわないまま眠っていたヒイロは、たしなめる者の居ないダイニングを横切って、シャワールームまでそのままの姿で歩いてゆくのだった。
ヒイロが外出から帰ってくると、ダイニングに置いてある電話機の本体のランプが黄色い点滅を繰り返していた。留守の間に何か伝言が入ったらしい。グラスにミネラルウォーターを注ぎ、口をつけながらスイッチに触れると、数件の伝言があった事を機械音声が怠惰に告げた。
訪問者というものが重なるように、電話もやはり同じ時間に重なり合ってやってくるものらしい。しばらく待つと、自動的に機械が伝言を再生し始めた。
ダイレクトメールのようにランダムにかかってくるセールスの電話と、ヒイロが書店に頼んでおいた本が入ったという連絡、そして久しぶりに聞く声がスピーカーから飛び出してきた。
『もしもしー、ヒイロォ?なんだいねーのか…まっ、いいや。とりあえずオレ無事だかんなー、今月面の端んとこにいるんだ。しばらくここの裏側の路線で船進むから、連絡つけらんなくなりそーなんで、電話入れてみたんだけどさー。ええ?ホントにいないってかー、ちぇ、タイミング悪ーの。じゃ、またな』
ICチップに録音できる残りの時間数を機械が告げると、無意識にヒイロは点滅しているボタンに再び触れる。
『もしもしー、ヒイロォ?』
最後の伝言が再び再生される。あまり通信状態の良くないデュオの声は、時々割れてしまって聞き取りにくいが、それでも彼の声であるということはわかる。
『もしもしー…』
何度目かの再生の後、ヒイロはやっと電話の前から離れる。だがそれでも電話の用件数を知らせる黄色の点滅は、ずっと続いていた。
意外に早く時間というものは過ぎる。特に平穏な日々は、まるで流れる水のように留まる場所もなくさらさらと流れ続け、気がつくとずいぶん沢山の時間が流れたことを、後々知ることになる。
「あっ、ちっくしょう…相変わらずこの鍵ときたら、コピーだけあって開きにくいったらないぜ」
一ヶ月に少し足りない時間を過ぎた頃、自分で鍵をかけたスチールのドアを、デュオはもたつく手でやっと開けることができた。いくら電話をかけても出ないヒイロに、まさか中で倒れてるんじゃないかと焦っていたからだが、ドアチェーンがしてなかったところを見ると、単に外出中だったようだ。
「ほんとに、居ない?の、ヒイロさん…ってば」
静まり返った部屋の中に人の気配はなく、これだけけたたましく帰ってくれば、ヒイロが気づかない訳もない。
それほどはない荷物を、自分の部屋に投げ入れると、デュオはヒイロの部屋を勝手に覗く。やはりその部屋の主の姿はなく、窓もカーテンが閉められたままになっていた。
「…ったく、オレってばタイミング悪いなぁ。せっかく高い金払って電話しても、ずっと留守電ばっかだったしさ。帰れば迎える人もナシ…かよ」
小さく舌打ちをすると、デュオは作りつけの冷蔵庫に手をかけた。中に何か残っていないかと思ったのだが、案の定ろくな物は入っていない。濃縮還元のオレンジジュースがあったが、日付を見ると自分が残していった物だということがわかった。
「…こんな古いの、置いとくんじゃねー」
いきりたってデュオはオレンジジュースの瓶の中身を、台所のシンクに流して捨てた。
「まったく、オレが居ない間、あいつ何食ってたんだ…」
瓶をダストに投げ捨て、デュオが部屋を見渡すと、自分が出ていった時と何ひとつ変わっていないように見えた。ただダイニングの端にある電話の用件ランプが明滅している事だけが、一ヶ月前と違っている。
「何だよ、留守電入ってるじゃん。今日のか?」
黄色い明滅を指先で押すと、ピッという甲高い電子音がして、用件の再生が始まった。
『もしもし〜…』
自分の声がスピーカーから聞こえてきて、デュオはぎょっとする。
『じゃ、またな……。……あ、ヒイロぉ?居たら出てくんないかな〜、ちっとだけでいいからさ〜…』
次々に再生される伝言は、自分が言った記憶のある言葉たちだ。
「なんだよこれ…まさか、オレの伝言、聞いてもいなかったってのか?」
『仕事終わったから、戻るぜ、まぁ…あと一週間、かな、じゃっ………』
何度電話しても出ないヒイロに、そうたびたび連絡を入れられた訳ではない。全部で四、五回だっただろうか、その全ての伝言が残っていた。
「それとも、マジでヒイロのヤツ…この部屋に居ない、とか…」
人気が無い理由が、住む者がいないせいだとしたら、焦らなければならない。とっさにデュオはいつもの習慣で、用件全消去の操作を機械に入力すると、ヒイロの行方を調べようとまた彼の部屋に戻ろうとした。
その途端、入り口の鍵が開けられる金属音がして、スチールの扉が押しあけられると、ヒイロが大きな袋を下げて戻ってきた。
「ヒイロ!」
「…帰ったのか」
「おい、ヒイロ、おまえどこ行ってたんだよ!」
「買い物だ。部屋の中にあった食料が、何も無くなったからな」
そう言ってヒイロはテーブルの上に、買ってきたばかりの商品が入った袋を置いた。斜めになったビニールの袋の中から、見覚えのあるシリアルの大箱が転がり出てくる。
「これ…おまえ、嫌いじゃなかったっけ」
「毎日食べていたら、そうでもなくなった。こいつなら、いちいち加工せずに食べられる。便利なものだな」
「へぇ…あんなに嫌がってたのに。慣れるもんだなぁ」
冷蔵庫にミルクの箱を建て、新鮮な野菜が数個片づけられる。心配していたよりも多少はマシなものを、ヒイロは食べていてくれたらしい。
「それはそうと…何か言ってくんないの?ほら、お帰りとか、ごくろうさまとか、労いの言葉が欲しいんですけど」
「……」
また何か罵られるのではないかと、デュオはヒイロの沈黙に予想をつけたが、それは飛んでは来なかった。
「無事で良かったな」
それがねぎらいの言葉かどうか、はっきりと区別はつかないが、それでもデュオの身体を案じているという意味らしい。
「オレに伝言は無かったみたいだねー、留守電聞いたけど、オレのばっかだったもんな」
「…いや…いつものジャンク屋から、帰ったらすぐに連絡が欲しいと言うことだ。それと、地球からの部品の注文が数件」
「え、そうなの?」
ヒイロはちらりと電話に視線を送り、ランプが明滅していない事を知った。
「伝言は消したのか?」
「ああ、いちおー全部聞いたし」
「そうか」
「…ヒイロ?まさか、オレの伝言だけ残しといた…って訳?」
否定も肯定もしないまま、ヒイロは黙って買ってきたチーズを冷蔵庫にしまった。
細い背中がデュオの前で動く。
「…おまえ、よっぽど寂しかったんだなー」
「寂しい?」
けげんそうに答えたヒイロは、デュオを振り向いた。
「…寂しい…?」
「そうでなきゃ、なんでオレの伝言なんか残しておくもんかよ。たいした事言ってる訳でもないのに。くだんねーことばっか、言ってたろ。なのに、おまえときたらさぁ」
ヒイロはデュオではなく、デュオの声が入っていた機械を、じっと見つめている。たった一ヶ月の間に、メモリがぎりぎりになるほど貯め込んだデュオの伝言を、自分が何度繰り返して聞いたか、ヒイロは思い出していた。
どうして自分がそんなことをするのか、我ながら不可解だった。デュオが言うとおり、誰に伝える必要も無い伝言を、保存しておく必要などない。
自分が繰り返し、聞きたいと思う以外には、使い道の見つからない伝言のはずだ。
「けど…さ、オレのほうにしてみれば、おまえの声を聞くの、マジに一ヶ月ぶりなんだぜ。何度電話しても、留守なんだもんな」
「一度は、居た」
「え、じゃあ居留守したのか?」
「…誰かが電話に出たら、メモリに声が残らないだろう?」
はぁ?とデュオはヒイロの理屈に口を開ける。留守電が録音されている間中、ヒイロは受話器を取りもせずに、黙ってデュオの声を聞いていたのか。
「メモリに声が残っていれば、何度でも後で聞くことができる…」
「おまえ、何やってんだよ」
しみじみとデュオはヒイロの肩に手を置くと、やっとのことで自分が寂しかった事に気づいたヒイロに、帰還の挨拶を要求した。
「ほーら、うるせーのが帰ってきたぜ。これでもう、留守電何回も聞き直すなんてことしなくっても、いっくらでもオレが話してやるからさ」
「…ああ」
気が抜けるほど素直な声で、ヒイロが答える。そういえばいつもなら不快そうに払いのけられるはずのこんなスキンシップにも、ヒイロからの拒否の反応がない。
「あれが寂しいというのなら、俺はあまり好きじゃない。もしかしたら以前はその状態が日常だったのかもしれないが…今はそうではない。寂しくない状態に慣れたんだろう。慣れてしまうと…寂しいのは嫌なものだ」
「あいかーらず…面倒なセリフ回しだなぁ、おまえはさ」
どんなに遠回しな言い方をヒイロがしても、彼がしていた可愛らしい行動は隠しきれない。ヒイロと離れたく無いという理由だけで、いわば無理矢理のような同居を始めたデュオが、一人きりにせざるを得なかったヒイロにそんな事をされて、嬉しくならないはずがない。
「夢を見た…おまえの、夢だ。俺の日常におまえが居るのは、もう当然のことらしい。たとえ伝言でもおまえの声が聞けるのは…嬉しかった」
「…ヒイロ」
どうしたらいいのか判らないほど、デュオにはヒイロが愛しく思えた。一方的にヒイロを巻き込んで同居したものの、部屋をシェアしているというだけの偽の家族だったのが、一ヶ月離れて暮らしたことで、急にヒイロに近づくことができたような気がする。
もっと近づきたいとデュオは切望する。生活だけではなく、もっと、存在も魂も、ヒイロの近くに寄り添いたい。
拒否されるのを覚悟で、デュオはヒイロに告白する。もし今、いわなければもう二度と、こんなチャンスは無いだろう。
何と言えばいいのかわからなくて、デュオは突然ヒイロを抱擁した。ヒイロの身体全体が、デュオの腕の中に収まっても、ヒイロは抵抗どころか緊張すらも見せなかった。
「オレ今、すごく、すっごーく、おまえのこと好きだ。だからキスしたい、それでもって、愛したい」
「あい…?」
「抱かせてくれよ、ヒイロ」
デュオのキスは唐突で、少し互いの歯がぶつかりあって痛みを覚える。性急に侵入してくるデュオの舌先を感じて、ヒイロはとまどいを感じたが、肯定の答えをデュオに届かせるために、自分から息を吸い込んだ。
ヒイロの背中に回っていたデュオの腕が、答えを得た瞬間に力を増して、いっそう強くヒイロの身体を抱きしめた。
遮光カーテンをどんなにきっちりと閉めきっても、布地の隙間から射し込んでくる昼間の光を完全に遮ることはできない。ヒイロの体臭がしみついたシーツの中に二人してもぐり込んではみたが、息苦しいだけで互いの姿がはっきりと見える恥ずかしさは消えるはずもなかった。
触れられると反射的に起きるヒイロの身体の震えは、警戒心ゆえのものではないということは、心臓の上に張り付いているデュオの鼓膜に届く鼓動でわかる。次第に強く、早くなる動悸を聞きながら、ヒイロの興奮をコントロールしているということを、デュオは実感した。
お互いにまだ年若く柔らかい肌の上を、何度となく他人の血で染めた指が這い回る。
「あ…」
吐息と共に漏れたヒイロの声を吸い込むように、デュオは唇の先につけた舌先で、その息を飲み込んだ。
「おまえの匂い…久しぶり。いつも金属やプラスチックなんかや、機械油ばっかりの匂いの中に居たからな」
片手でヒイロの髪を撫でると、もう片方の手はヒイロの核心に触れる。
緩やかな皮膚に包まれた芯は、熱くなる気配を見せており、デュオの指が送る扱きに答えて、硬度を上げていった。
不意にヒイロはデュオの腰から手を降ろすと、二人の身体の隙間に指を差し入れ、デュオのものを握った。自分がされているのと同じように、デュオに愛撫を送り返す。
その動きの巧みさに、デュオは肝を冷やした。
「おい…おまえったら…何だよ、上手いじゃんかよ」
やられた、とデュオは心の内で呻いた。握り方の強弱もさりながら、どの辺りが最も重要なポイントかということを、ヒイロの動きは熟知している。
同じ形の肉体を持つからと言っても、回数をこなしていなければ、これほどの巧みさは望めないはずだ。
「…まずい、ですねぇ…」
「何が、だ…」
それでもヒイロの呼吸の乱れは顕著で、荒い息の下で呟く声はかすれ、デュオの情熱を誘った。
「いや、別に…。イイ感じ、ヒイロ」
「舐めるか?」
「え」
驚いて身を起こしたデュオの動きを、肯定と取ったヒイロは、半身を立てたデュオの前にうずくまり、口に含んだ。
ヒイロが片手を添えて唇で上下に扱くと、慌てたデュオはヒイロの肩に手を置き、思わず自分から引き離す。
「…どうした?」
「どうしたって…俺は、その…」
自分自身の睡液で、ヒイロの唇が透明に光っている。それを無意識に指先でぬぐい取る素振りが、あまりにも卑猥に見えた。
デュオの背中を、痺れるような衝動が駆け抜ける。できすぎたヒイロの姿が、優しさを噛み砕いて征服欲に変貌させてゆく。
彼がすでに何もかも知っているのなら、遠慮は不要だ。ためらいは失笑を買うだけで、誰の益にもならない。
「ヒイロ、俺…やるからな」
宣言するとデュオは、ヒイロを再びベッドの上に転がした。素早く膝の裏に腕をさしこみ、脚を曲げて腰を上向かせる。
「…するのか?」
「ああ、いいんだろ?」
不思議とヒイロの答えは無い。ぴたりとあてがった蕾は固く閉じて、まるで…。
「!」
デュオのすぐ目の前にあるヒイロの顔が、苦痛に歪んだ。
ほんの僅か、指先程度しかまだ内側に達してはいないのに、それ以上どうしても身体は開こうとしない。
「お、い…。オレも、痛ぇんだぜ、そんなに力…入れるとさ」
「う…あぁ…」
「もうちっと…力、抜いてくんない、かな…」
「でき、な…」
苦しげにヒイロは左右に首を振った。青ざめた顔色は、何よりも真実を語っている。
「デュオ、頼む、やめて…くれ、どうにも…できない」
「そりゃ、ねーだろ、ここまで来てさ…。オレだって、どうにもなんないぜ、こうなっちゃ」
強く拒む身体をこじ開けるように、デュオはヒイロの膝を抱えて自分を奥へ進めた。極まった狭さがわずかに緩んで、デュオはヒイロの内側へと沈む。「ひ…っ!」
「あ、いけそう…も、ちっと…」
「う…くっ…」
楔を打ち込まれる拷問に良く似ている、とヒイロは悲鳴を押し殺しながら考えていた。
思考の半分はデュオから受ける苦痛に支配されているというのに、半分は奇妙に覚めていて、初めてのこの体験を冷静に観察している。手や口などのオーラルセックスで相手を満足させることはあっても、肉体の危険を伴うこの行為自体は避けてきた。どれほどのダメージが、自分に残るか知れたものではないからだ。
だがデュオならば、その心配は無い。たとえ肉体が多少傷ついたとしても、それを容認できる相手だからだ。
「入っ…た…っ!」
デュオの声が耳元で聞こえた途端、ぷつん、とヒイロの意識が途切れる。
太陽に向かった時のような真っ白な暗闇が、ヒイロの身体と心をつかんで、何処かへとさらっていった。
遠くで誰かが叫んでいる気がして、ヒイロは霧のかかったような意識を、ようやく自分のものとして認識した。夢から覚めかけている、中途半端な眠りが、ヒイロの意識の構築を邪魔する。
「…ロ、ヒイロ!」
「…あ…」
「おい、しっかりしろよ、オレが悪かった、すまん!」
「…なん、だ…?」
うっすらと見えてきたヒイロの視界の中には、見慣れた天井と見慣れたデュオの顔があった。いつもの三つ編みが半分ほどけて、酷いことになっている。
「どうした…?」
「どうした、じゃねーよ!おまえ、マジに初めてだった訳?何で言わねーんだよ、メチャクチャしちまうじゃねーか」
「…ああ、そうだった…か?」
ぼんやりとした返事を返すヒイロに、デュオはため息をつくしかない。
「だったか、じゃねぇよ…。道理で妙にキツイと思ったんだよな。最後まで気がつかねぇオレもナンだけど…。それにしたって気ぃ失うまで、我慢すんなよな!」
デュオが怒っているということに、ヒイロはやっと気づいた。自分に経験が無かった事を怒っているのか、とも思ったが、そうではないらしい。
「初めてだってんなら、もっと…その、優しくしてやりたいし、こう…手順ってもんがさぁ、あるんだぜ」
「…おまえとなら、多少身体が傷ついても、危険は無いだろうと思ったからだ。任務がある訳でもない…」
「それって、俺のこと信頼してるって、コト?」
「…そうとも言う」
視界の半分を占めていたデュオの顔が、嬉しそうににんまりと笑った。
デュオが笑うと顔のほとんどが、口になるんだと言うことを、ヒイロは思い出す。
「嬉しい!嬉しいぜ、ヒイロ!」
デュオの身体が空中から落ちてきて、ヒイロの上に重なった。全身の重みがヒイロからベッドまで到達して、スプリングがきしむ。
「ああっ、でもおしむらくは…ヒイロさまのありがたーいバージンなのにさぁ、訳もわからずガツガツ食っちまって、あー、もったいねーことした…あんなにいそがなきゃ良かったよなぁ、もっとじっくりこう…楽しんで…」
「…ふざけるな…」
オヤジもどきなデュオの感想に、ヒイロもさすがに鼻白む。短く握った指の先をデュオのこめかみにぴたりと付けると、低い声で言った。
「あまり俺を辱めると…命を落とすぞ」
「…いや、そんなつもり、ナイです。ハイ…って、おい、冗談じゃないのかよ」
「だったらいいがな」
そう言いながらも、もつれあった身体からかすかに匂う、互いの体臭を確かめるように、デュオとヒイロは抱き合ったまま、シーツの中から出ようとはしなかった。
いつしか遮光カーテンの向こう側の明るさは失われ、本当の夜の時刻が訪れる。それなのに、ヒイロとデュオの住むフラットの窓の明かりは、いつまでも灯る様子は無い。
明日が来るまで、二人は互いの腕にくるまれて、眠るのだろう。
幸せに。終