猫のいる生活 -原作:すずはら篠-  No.58
飛来和音(とびらいかずね)死んだ父と同じ名
夜彦(よるひこ)

6年連れ添った猫が死んだ
(箱の中でタオルにくるまれている死骸)
たかが猫、そういえる人は幸せで不幸だ
猫を失う痛みを知らない幸せ
猫と暮らした幸福を知らない不幸
人目もはばからず獣医の待合室で泣いている
「飛来和音さん」
名を呼ばれて顔を上げる
「…あなたの家族はその子だけ?」
彼は気がついたらそこにいた
「……」
「な…」
「おいで、ここにいたら迷惑だ」
泣いて曇った視界に、うつった彼の微笑
(肩を抱いてくれる腕)
どうして見知らぬ彼に、ついていく気になったのか

夜の海 波の音 ゴミも広がる海岸 停まる軽自動車
まだタオルの包みを抱いている和音
「ここでなら、好きなだけ泣いていいよ、和音さん」
(波の音にかき消される泣き声)
俺は自分の涙に溺れそうだった
(少し低い彼の肩に顔を埋める)
暖かくて、甘えるときは頬を舐めて
そっと涙を彼がぬぐう
「…和音くん、今夜、一緒にいようか?」

彼の肌は猫のように柔らかく暖かで
(キスと耳元への愛撫)
その笑顔はひどく俺を暖めて 
初対面のそれも男と
そんなことが自分にできるとは思いもよらなかったけど
「本当にひとり、なんだね、和音…」
「家族も友達も…居ないヤツ、珍しくない……あっ」
「あの猫だけが家族だったの…」
猫はタオルに包まれ、花で飾られ猫駕籠で眠っている
 俺はそのとき本当に、家族が死んだよりも辛くて涙が止まらなかったんだ。
「アビは、恋人みたいなものだったんだ…」
「ごめん、もうなにもいわなくていい…」
彼はそういって顔を伏せ、中心を巧みに煽っていく
「あ…。ああ…」
 誰かに慰めてもらわなきゃ、死んでしまいそうだと本気で思っていたんだ。
彼の手管で溶かされていく

小さな骨壺が置いてある
そっと蓋を開けると、綺麗に収まった真っ白い骨
「真っ白だ…」
「きれいに形残ってる。健康な子だったんだね」(夜彦もシャツを羽織っただけ)
そっと、その骨(下あご)を取り出して囓ってみた
パリン、と軽い音でそれは口の中で砕けた
「…呑んだ?」
「…いけなかった…?」
彼は微笑みながら
「俺も、同じこと、したよ」
無言で頷いた 俺はまた泣いた その肩を抱いて

「ペットシッター?」
棚の上の骨壺に花が添えてある 二人はまたベッドの中
「あの動物病院と契約してるんだ。飼い主の留守中にペットの世話をする。ご飯あげて、トイレの世話して…」
「それで俺の名前知ってたのか。」
「で?ペットロスの飼い主のメンタルケアもペットシッターの仕事の内ってこと?」
(愛するペットを亡くした事による心身の激しいダメージのこと)
少し微笑んで夜彦は問いかける
「そういってほうが納得いく?」
「…それでベッドの相手までするとは思ってないよ」
怒ったように赤くなってそっぽを向く和音
微笑んでいる彼
「俺…、猫飼うの2匹目だったんだ」
「…最初に飼って半年の猫が車にはねられて死んで、もう動物飼うのはごめんだ、と思ったんだけど、忘れられなくてさ…、あの暖かいものがそばにいる気持ちよさを…」
涙目で睨む和音に
「そう…。一度、猫と暮らした人は、猫なしで生活できなくなるんだ」
「あんたも…そうだった?」
夜彦は微笑んだ
「今も、ずっとそうだよ」

今度は自分からも彼に挑んでいった
「あんたの名前、きいてない…。俺ばっかり…」
「ああ、そうだった」
耳たぶを囓りながら 「ふあ…っ」
「夜彦ってよんで」
「よるひこ…」
指が後ろを探る
「力抜いて…和音…」
彼が焼けた芯をゆっくり押し込んできた
「ああ、ああ…」
「…良さそう…」彼はふっとほほえんで
「良い所は、みんな同じだね…」
「みんなって…ゃっ」
「夜彦…」
そのまま熱に飲み込まれる

夜彦がコーヒーを注いで出す 和音の前にトーストとベーコンエッグ
出されたトーストをそっと囓る和音 パリパリと1枚食べてしまう
「よかった。やっと食べたね。もう1枚食べる?」
「なまえ…」
「ん?」
「初対面でちゃんと読まれたことないんだ、俺の名前。だから最初に呼ばれたとき驚いた」
「…ああ…。珍しい名前だもんね」
「…オリジナルじゃないけど」
カップを弄んで
「死んだ俺の親父と同じ名前なんだ」
夜彦の視線が止まる
「オヤジは俺が1歳の頃だってきいてる。母さんも一昨年亡くなったし」
「それからずっと一人?」
夜彦の気遣わしそうな視線を遮るように
「ねえ…なんでそんなに俺のこと気にするの?」
ごまかすように微笑んで
「…君が、心配だったんだよ、あんなふうにひとりで泣いていたから…」
じっと見上げると
「本当、だよ」
キスをして安心を伝えてくる
だが和音の不安は消えない
シャワーを浴びている音 無造作に置かれたジャケット
持ち上げると内ポケットがふくらんでいる
「…」シャワーの方を伺って
(ごめん、夜彦)
あんたの言葉が嘘なら嘘でいい。あんたのことが知りたいんだ。
猫じゃないから、人だから、後ろに隠してあるものを知らない振りして、そばにいるのは
…寂しい…そう。寂しいんだ。
財布を開くとポケットに差し込んであるカードケース
それを出してみると
「…え…」
少し若い夜彦と一緒に、パジャマにガウン、鼻にチューブを差し込んだ、病身の男は
 手が震える
「それは飛来和音(とびらいかずお)シニア、だよ」
「夜彦…」
「彼は俺の恋人だった」

「和音は末期の胃ガンだったんだ」
 死ぬ間際に(同じ名前の、息子がいるんだ)
(結婚して、子供ができたあとで自分の性癖を確信した…。自分も妻も騙し続けることができなくて)
「彼は奥さんと子供から逃げたこと、ずっと後悔してたよ。でも、もう何処にいるかもわからないから、二度と会えないって泣いてた…」
ダン!と襟首掴んで壁に押しつける。怒りの声
「俺が…オヤジの息子だったから…、だから寝たのか?」
激しい和音の憤りを、嬉しそうに受け止めて
「彼に似てるから、同じ匂いがするから、そんな理由で君を好きになったらいけないか?」
「夜彦…!」
悲しそうに微笑む彼
「きみに会えたのは偶然だ。でも動物病院で君を見て、和音の名前見つけたとき…」
(回想 カルテを見ている)
(息子に会いたかった…、夜彦、お前を一人で置いていくことが辛い…)
これは和音が残した想いなのか…?
「…君の持つ遺伝子に、心も身体も反応するんだ…」
「夜彦…」
「恋人も猫も、大切な存在なのは同じだ。俺は和音(かずお)を失って、死ぬほど泣いたよ。和音と同じくらい」
「俺も治らない傷を塞ぎたかった…。いけないか?」
「夜彦…」
夜彦と俺は、同じ痛みを感じてる
彼は俺を抱いて暖めてくれた。 
そっと夜彦をだきしめて
「明日…仔猫を見せてもらいに行くんだ」
「一緒に行かないか?」
2007/10/18



[TOP]
shiromuku(e3)DIARY version 1.20